≪アタパラカフェ≫とは熱海パラダイスを略したネーミングである。
海抜250メートル、熱海市街を眼下に見下ろす絶景地にあった。
熱海城を右手に通称頼朝ラインから伊豆スカイラインに通じる道筋の途中、アクセルを一気に踏んで急勾配の脇道を登りきる。ナビにもでていなかった道。
あたりは趣をこらした別荘や、会社の保養所が山沿いの細い道に張り付くように点在している。山霧や海からの靄がかからない晴れ渡った日には、正面の十国峠の展望台を頂点に、そこから伊豆山の稜線をつたい、ゆるやかな弧が真鶴半島をなぞって相模湾に落ちていく。振り返ると光る海原には初島が、間近に見える。
登りきった脇道は300メートルも進むと行き止まりになっている。
≪アタパラカフェ≫は、ほぼその行き止まりにある。いや、5年前まであった。
コンクリート打ちっぱなしの3階建、1階は駐車場、2階が広いテラスとカフェになっている。3階は住居。
駐車場に続く階段の入り口に≪アタパラカフェ≫のプレートがなかったら、2階にカフェがあるとは道いく人は誰も気付かない。そもそも行き止まりの道を、1日何人が通るだろう。近所の人が犬の散歩で通るくらいである。
遠州に住む両親が相次いで亡くなり、実家をより東京に近く、海と山の眺められる場所に移そうと不動産会社の担当者と熱海の山間を車で走っていた。たまたま行き止りの道に入り込み、空いている駐車場で車の向きを変えようとバックした時、≪アタパラカフェ≫のプレートを見つけた。
昼近くでもあり、気になったので車をそのまま駐車場に入れ、急な階段を上がりガラスのドアを押した。海も山も道路からみるより、大きく視界に広がる。
テラスに面してテーブル席が数席、中ほどを4~5段上がってカウンター席がある。BGMが流れ、バラやユリの洋花が豪奢に生けられている。お客は誰もいない。店は開いてはいるが、はたして営業をしているのか。予約が必要(?…)あるいは会員制のカフェなのかもしれない。
声を掛けると奥から「いらっしゃいませ」という声とともに女性が小走りに出てきた。
オーナーのMさんとの出会いだった。
Mさんは、東京の新聞社の文藝出版部で働いていた編集記者だ。数年前に熱海に引っ越し≪アタパラカフェ≫をオープンしたとのこと。ご主人は、大手広告代理店にお勤めで、
Mさんが毎日熱海駅まで送り迎えしている。あとでわかったことだがお二人の経歴上、
≪アタパラカフェ≫は新しい情報やイベントを求める人、あるいは安らぎを求める人の「大人の隠れ家」的存在である。街中から車で4~5分足らずで味わえる非日常な空間を求めて、旅館の女将やレストランのマスターが休憩時間にハンドルを握り急坂を上がってくる。
Mさん、カフェオープン前に東京の専門学校へ通い、コーヒーの淹れ方、ケーキのつくり方を勉強したという。
周辺の別荘族が気分転換に美味しいコーヒーやケーキをもとめてぶらりと立寄ったりする。
東京から来たというアーティストや、編集関係者もいた。
≪アタパラカフェ≫は交通が不便というより、車がなければ行けない、しかも道は行き止まりであるが、いつのまにか熱海で知る人ぞ知るカフェになっていた。
5年前、Mさんは「8年半やったからアタパラは閉めるの。情報を得たし、地元のしりあいもいっぱいできたのでこれからは街中で活動したい」。といって2年後、店も住居も売却して街中のマンションに引っ越していった。
Mさん曰く
「カフェの経営がやりたいとか、ケーキつくりが好きというわけではないの。
東京から熱海に引っ越して、熱海のことを知りたかったから。それにはカフェはいながらにして情報があつまる場所でしょ。やるからにはプロとして本格的なコーヒーを淹れて、プロとしてのケーキを出さなければいけないので、勉強したの」ということ。
今、Mさんはカフェ時代の情報、人脈を生かして熱海の活性化の陰のプロデューサーとして存分に活躍している。私は、Mさんの腰巾着のようにときには情報のおこぼれに預かっては楽しんでいる。
≪アタパラカフェ≫には新しい買い手がついたとのことだが、夜も明かりは点いてないし、店が再開される気配もない。
Mさんのもとに多くの個性的な人が集まっていた熱海パラダイスは今では幻のカフェとなってしまった。
