社長の独り言
● みちのく一人旅

 

2時過ぎに三沢空港に着き、八戸の貿易会社に立寄って、車で青森市内のホテルに到着した時は、日の長い季節とはいえ十分に暗くなっていた。荷物を部屋に入れ、とりあえず駅前に出る。知らない土地でも、美味しい食堂を見つける自信はある。ファーストフード店やパチンコ店に挟まれた間口の狭い店の表に『ホタテの美味しい店』とある。閃いた。30年以上前から変わらないような内装の細長い店で、混んでいるでもなく、お客は適当に入っている。殻つきホタテがごろごろ入った味噌汁付の山かけホタテ丼を注文、750円は安いし、新鮮で美味しかった。

 

翌日は終日、仕事日となる。県庁の担当者が非常に真面目で熱心な方で、午前中は関係先への挨拶回り、午後からセミナー、その後ロシア進出について6社との個別相談会と続き、終了は6時近くになっていた。それでも1時間の昼休みに会場近くで珍しいものはないかと商店街をチェック。

“みず”という野菜を発見した。地元の人にとっては珍しくもなんでもない山菜で、今が最盛期のため店先で売られているというもの。フキの茎に似て、5070cmぐらいあり、アジサイのような葉がどっさりと付いている。どうも気になるので夕食会の時、“みず”について聞いてみた。特に栽培しているのでなく、そこら辺の畑や山に自生している、食感はセロリとフキみたいだけど、灰汁はないとのこと。しかしその名前の由来は、誰も知らない。誰かが料理を運んできた女性に「料理長に聞いてよ。」と適当に声をかける。まもなく戻ってきた女性が料理長の答を伝えた。「“みず”というのは方言です。“うわばみ草”というのが正式な名前で、うわばみは蛇のことです。ニシキ蛇のでるようなところに生えているということから名づけられたのでしょう、とのことです。」一同一瞬、酔いが引いた。

 

翌土曜日、帰りを朝便から夕方便に変更し、定期観光バスで八甲田山に行ってみた。市内から3~4時間の所要時間なので丁度よい。新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」や映画「八甲田山」で知られているが、八甲田山という山があるわけではなく、8つの山系の総称であることを知った。ロープウエイで登った山頂から、眼下に青森市内が一望できる。陸奥湾を囲むように左手に津軽半島、右手に下北半島が弧を描いている。快晴の日には北海道が見えるという。高山植物の季節で三々五々観光客が散歩している。かつて、日本陸軍が日露戦争を想定して行なった「雪中行軍」で、200名近い遭難者を出した悲劇を思えば、緑濃い山並みの長閑さもせつない。バスで再び市内に戻り、駅前市場から季節はずれのりんごとりんごジュースを、ご無沙汰している知り合い数人へ送る手配をすませ、空港に向かった。はじめてのみちのく旅行は、意外と濃密であった。

 

0906224

 

 

● 北朝鮮に理想郷をつくったロシア人一族の話

2007年、講談社から「ヤンコフスキー家の人々」というタイトルのノンフィクションが刊行された。

 

紹介によると著者の遠藤公男氏は、岩手県在住、小学校の教師として山間部に勤務。趣味は動物学でコウモリや野鼠の新種や、イヌワシの巣を発見しているとのこと。動物に興味のない者には、それがどの程度の発見なのか、まったくわからない。「日本野鳥の会」名誉会員で、鳥に関しての著書も多数あるようだ。略歴を読むかぎり、本書以外ロシアとの関係はほとんどないようである。ロシアビジネス、それも情報サービスを業務に掲げている以上、文学、ビジネス、エッセイなどなど、分野にかかわらず、一応ロシアに関する出版物はチェックしているつもりである。が、本書はチェック漏れであった。

 

初代ヤンコフスキーは、ポーランドの貴族であったが、政治犯として沿海州に追われ、そこで猟師となる。家族の生活を安定させるため、ウラジオストックから船で2時間の対岸半島に数千頭の鹿や数百頭の馬の牧場を開き、山羊、豚、羊などの飼育場を経営し、数年で莫大な富を築いた。ロシア革命でボリシェヴィキがすべてを没収すると、2代目のヤンコフスキーは、温泉のでる北朝鮮の原野を買取り、かの地に「ノビナ」という名称をつけ、別荘開拓をはじめた。2700m級の白頭山を背に風光明媚で、夏が涼しいノビナは白系ロシア人を中心に、ヨーロッパや日本の富裕層の格好のリゾート地として知られるようになる。しかし、スターリンの粛清はこの地にも及び、ヤンコフスキー一族は、夫婦、親子、兄弟、親戚が政治犯としてソ連国内に2000はあったといわれる収容所に送られる。家族のなかでも、共産党思想に同調して、ソ連にとどまるもの、決死の逃避行で外国に逃れたものもいる。ヤンコフスキー家は、日本びいきで、子供達は日本に留学したり、3代目の子守として杉本サダという日本人女性も雇われていた。彼女の影響か、著者が3代目と面会した折、モスクワ、ウラジーミル市に在住で、90歳を過ぎたヤンコフスキー家3代目ワレリー氏は流暢な日本語を話されたという。

 

著者の遠藤氏は、本書の完成までに10年間、カナダに、アメリカに、ロシア各地に、散り散りになったヤンコフスキー家の人々を訪ねておられる。当初の目的は北東アジアの野生動物誌を書くつもりでヤンコフスキー氏に会われたとのことであるが、理想郷「ノビナ」へのヤンコフスキー家の人々の想いが、著者の筆の方向を変えてしまったのではないか。

おそらく北朝鮮の体制の崩壊は、そう遠いことではないであろう。「ノビナ」がリゾート地として甦る日がくることを待ちたいと思う。

 

虎狩の話、スパイの話、北極のラーゲリの話、ロシア嫌いの日本人にも、読んでもらいたい1冊である。

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