社長の独り言
● 村上春樹とドストエフスキー

ロシア人の精神的構造は、なぞなぞである。

ロシアで日本や日本文学についての研究は、その深さ、歴史からも他の先進諸外国に引けをとらないのではないかと思う。日本語ができないロシア人から伊豆の踊り子のルートを歩いてみたいと熱心にいわれたこともあったり、かって富豪の屋敷だったモスクワ郊外のリゾートホテルの書棚には、私も読んだことないような明治、大正の文豪のロシア語版が数冊も置かれて、自由に貸し出しされていたりする。しかし、ここ数年の村上春樹の人気は、そんな流れとは違うようだ。4~5年前からモスクワや、ペテルブルグの大手書店には村上春樹のコーナーが設けられている。それも棚おきでなく、レジの脇などに平積みされているので、かなり目立つ。単に、欧米で人気があるので、ファッションとして、ロシア人が村上本を手にするのであれば、わかりやすい。しかし彼の小説に共感を寄せて、売れているとしたら、体制の崩壊から、すでに村上の描くような世界にまで、一足飛びに達してしまったロシア人に同情する。羊や猫がしゃべったり、空から魚が降ってきたり、夢か現かわからないようなシュールな世界に浸り、退屈しのぎか、音のない世界の恐怖からか、BGMにロックがいつも流れている。自由主義世界を走り続けて20年、ロシア人もどこかで自由の退屈感や、虚しさを感じているのだろうか。

翻って日本ではドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』が10万部のベストセラーになったという。ドストエフスキー作品云々というより、亀山郁夫氏の訳した『カラマーゾフの兄弟』だから、ということかもしれない。この人気も、今風にいえば「カラマー」と呼ぶべきファッションなのか?『カラマーゾフの兄弟』(米川正夫訳)は10代の頃、読み始めたら面白くて、一気に読んでしまった。全く知らない世界、まるで宇宙人に出会ったような衝撃があった。今、評判に押されて、亀山氏の訳本で、再び読み始めてみた。が、一気に読めない。10代の頃のような面白さ、新鮮さも感じられない。

この20年間、多くのロシア人達とビジネスをし、細切れにせよ、一般のロシア人の生活に浸ってみると、当たり前ではあるが、『カラマーゾフの兄弟』の世界は、ロシアとロシア人にとっては、ごく<普通の世界>のだったことがわかった。もう一つ理由をあげるとしたら、亀山氏の翻訳が、親切でわかり易いということが、“ありがたみ”を軽くしているのかもしれない。村上春樹氏は、影響を受けた作家として、ドストエフスキーをあげているところが面白い。

● 津軽の秋

118日、今年2度目の青森空港に降り立った。「到着」という文字が日本語、英語、ハングル語、ロシア語で表記されていて、青森空港の特色を印象づけられる。

翌日午後には弘前の酒造メーカー訪問のため、街の見学をかね、前日に空港から青森市とは逆方向の弘前行きのバスに乗った。先週は雪が舞ったと聞いていたが、到着した日はジャケットを着ていても汗ばむほどの好天だった。バスの前方、幻のように富士山に似た山が浮かんでいる。“津軽富士”とは、よく言ったものだ。岩木山は、裾野から縮小した富士山を7合目当たりでザクザクと横切りしたように見える。収穫の最盛期を迎えたリンゴ畑を囲むように紅葉した山が重なり、遥か彼方に墨絵のように霞がかかった岩木山が、緩やかな弧を描き、空に向かって雲と一対になっている。カナダの紅葉も、ロシアの紅葉も美しいと思った。しかし、この頃、日本の山里の紅葉が織りなす陰影や、繊細な色づきに、いとおしいほど魅かれるのは年のせいだろうか。

駅前の観光案内所に、津軽観光協会に頼んでおいたボランティアガイドの女性が待っていてくれた。希望すれば市内を無料で案内してくれるガイドさんが、現在は100名ぐらい登録しているとのこと。私を案内してくれたのは津軽の街中で70年近くを暮らしてきたという製麺会社の奥さんだった。 彼女のおかげで、弘前公園まで歩く道々、何人かの人とすれ違うたび、挨拶をかわし、彼女に付き合って津軽弁でかわす雑談に加わることになった。息子と同級生の奥さん、娘の教え子の先生、明治時代からの時計屋のご主人、入院した時の担当のお医者さん、隣の娘さんで喫茶店の経営者、「菊と紅葉祭り」の事務局の方などなど…。夫々に後から彼女の解説がつき、こちらの方がインパクトあり、観光が翳んでしまった。

翌日は朝食をかねて、太宰治が通っていたという「カクミ横丁」の喫茶店「万茶」に入ってみた。今年は太宰の生誕100年ということで観光客がいるのではと思ったが、客は誰もいなかった。東京では余り見られない白いワイシャツに黒のチョッキと蝶ネクタイの50年代ぐらいのお親父さんが、カウンターの隅で新聞を読んでいた。店内はテーブルも壁も硝子の仕切も天井の照明も、流行に押されて作られた「レトロ」風ではなく、時間を経てこそ作られる空気が流れている。注文したハムトーストと、コーヒーはゆったりと丁重に用意された。城下町、弘前にはドトールやスターバックスは似合わない。表通りを歩いても入ってみたくなるような喫茶店が多い。明治時代の洋風建築がそのまま残るハイカラな街だ。津軽平野にリンゴの花が咲く頃、弘前城が雪のなかに佇む頃、また訪れてみたいと思う。

 

  喫茶店「万茶」

 

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