社長の独り言
● ビジネス風見鶏

国から補助金を受け、福島県伊達市の高級ニットをロシアに売込むジャパンブランド・プロジェクトで、弊社が3年越しでロシア側の窓口としてお手伝いさせていただき、最後の締めとして企画した東京ミッドタウンでのファッションショウと展示会が無事終了した。日本のファッション、アパレル業界に直接的な人脈もないため、ロシア関係者や友人、知人に案内状をお送りした。その中の友人の1人から「義姉の知り合いでファッション関係の方を2~3人お連れします。」と連絡があった。

当日お会いしたところ、その中のお1人、大柄な女性は二十数年前、弊社の大阪の代理店をしていただいた女性社長であった。当時、彼女の会社は女性に人気の神戸のブランド「ワールド」の売上げにも貢献していた。弊社の発行する情報誌の販売代理店契約は2年間程で、この間4~5回お会いしている。それ以来、二十数年ぶりの思わぬ再会だった。「中尾さん、アメリカのお仕事でしたよね。何故ロシアをやっているの?」と怪訝そう。

恥ずかしながら私は自称“ビジネス風見鶏”。くだんの女性社長と出会った頃、「American Life  Trends」という会員制の情報誌を企業向けに発行していた。企業の商品開発部、企画部、市場調査部などなどにアメリカのライフスタイル情報を売りまくっていた。

70年代、80年代のアメリカの生活情報は日本の消費財メーカー、流通業、出版、サービス業にとって魅力のある世界だった。リアルタイムな情報が求められ、名もない会社が発行する年間24万円、一括先払いという情報誌は2~3年で180社の会員を集めた。しかし90年代に入る直前からアメリカは生活にコンピュータが入り込み、コンピュータが支配するマスの世界に変わっていった。会員も頭打ちになり、私自身がアメリカのライフスタイルへの興味を失くしていった。5年後に事業形態を変え、事業は他社に売った。その後、天安門事件後の中国、香港市場に触れてきたが、いまひとつ中に入り込もうという決め手が湧いてこなかった。そうこうするうち、ソ連邦崩壊後1年目というモスクワを何気なく訪れ、そこが風見鶏の目には「世界で一番魅力的な市場」と映ってしまった。1992年、年末のことだった。それから18年、モスクワやサンクトペテルブルグは表面的にはヨーロッパと変わりなく見え、外国のビジネススクールを卒業し、外資系企業で働く優秀なビジネスピープルが育ってきている。風見鶏としては、次の新たな、魅力ある市場へアンテナを張らなければならない。

 

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