社長の独り言
● ハルピンについて

先週は偶然にもハルピンという4文字が、私の身辺にグーッと近づいてきた週だった。

 

多摩美術大学美術館で開催される『キューバン・グラフィック展』の招待状をいただいていた。当社が企画した1年前の『革命とファッション展』のお礼もかね、美術館のある多摩センターに足を運んだ。

『キューバン・グラフィック展』では、88歳で現役の画家、富山妙子氏が所蔵するキューバ革命前後に描かれた木版のコレクションが展示されている。第3次世界大戦の危機迫るキューバで、現地の芸術家から託され、トランクに入れてメキシコに持ち出した貴重な版画とのこと。展覧会の会場でお会いしたその富山妙子氏から、ロシア革命やハルピンの名前がでてくるとは想像もしていなかった。日本から見ればロシアも遠いが、ラテンアメリカはなお遠い。富山氏の父親は、ダンロップという多国籍タイヤ企業の満州支社に雇用され、長年ハルピンで働いていたという。富山氏も女子美術大学に入学するまでハルピンで暮らし、日本が創設したハルピン女子学校の第1回卒業生とのこと。彼女の近著「アジアに抱かれて」(2009年刊、岩波書店)では、日清、日ロ戦争、第1次、第2大戦で時々の権力者によって、ハルピンに流された血の歴史が淡々と書かれている。ハルピンの赤い夕日は、彼女には血の記憶に繋がるという。

同じ週、大阪大学の生田美智子先生から冊子「セーヴェル」26号が送られてきた。「セーヴェル」とはロシア語で「北」を意味する。B5版、モノクロ簡易印刷で、150ページの冊子は1000円では送料、印刷代にみたない。おそらく、日本が深く係わってきた「北の大地」の歴史を残そうとする生田先生と数人の熱意で発行されているのではないかと思われる。編集委員や執筆者は歴史、経済、文化、言語、風俗などの専門家、あるいは個人的体験から検証した研究者達が名を連ねている。満州国建国にともない、東アジアにとってヨーロッパに一番近い都市は、憧憬から征服に変わり、他民族に権力を振りかざし、敗戦すると我先に逃げ出した日本人達の知られざる事実を、生田先生は女性の視点から書かれている。

 

戦後生まれには“ハルピン”は、遠い過去の都である。日本が近代化の窓口とし、洋装の紳士や淑女達が闊歩するハイカラな街のイメージが浮かんでくる。しかし、富田妙子氏や生田先生の本からは、そのようなノスタルジックな想いを一掃する、民族差別と阿鼻叫喚の修羅場がたちのぼってくる。知りたくなかったかもしれない。が、怖いもの知りたさにページをめくっていった。

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