社長の独り言
● 「来ロ研」

初夏を迎えた大学のキャンパスは、さわやかな風と光に輝いている。ビジネスの真っ只中に身をおいてきた者にとって、大学のキャンパスはただでさえ眩しい。

 

2ヶ月に一度、第1土曜日の午後、青山学院大学で開かれるフォーラムに久しぶりに出席した。「来ロ研」とは略称で、正式名称は「来日ロシア人研究会」という。何人の人たちで、いつ頃から、どういう経緯で始まっているのか、全く知らない。日本に来日したロシア人たちの足跡を辿り、そこから日ロやその他の国々との歴史を明らかにしていくことが研究テーマであろうが、特に連続的なテーマを追うわけでもないので年に1、2回の出席でも居心地は悪くない。勿論、正会員の方がたは、真剣で真面目である。毎回、ほぼ3人の方が1時間くらい報告をして、お開きとなる。3年前、「亡命ロシア貴族とファッション」というテーマで報告をすることを勧められて以来、ご案内をいただくようになった。

会の性質上、大学の現役の教授は勿論、退官された著名な方、学生、OB、かって満州という国で暮らした人、在日ロシア人やロシア人2世、また日ロ以外の国の方が参加されることもあり、国籍、職業、年齢まちまち、30~50人ぐらいが集まる。しかし、失礼を承知で、今風の表現では、かなり「オタク」的な会だと思う。

 

この「オタク」的な会の名前と、会で最も親しくさせていただいているOさんの名前を6月3日号の「週刊文春」で見つけた時は、正直驚いた。フランス文学者の鹿島茂氏が「私の読書日記」というコラムで「来ロ研」のこと、Oさんの論文のこと、をとりあげていらっしゃる。早速、札幌にお住いのOさんにメールで連絡。彼女は、日本でもっともメジャーといわれる週刊誌にご自分の地味な論文がとりあげられたことを非常に喜び、たぶん「来ロ研」の他のメンバーは誰も知らないでしょう、と感謝しきり。

ちなみに6月の報告会では、モスクワの神学大学に留学されていた方の体験談、また、最近、名古屋のハリストス正教会を設計した建築家のお話があったが、興味深かったのは、日本学の元祖ともいえるセルゲイ・エリセーエフと交流していた国際問題評論家、倉田保雄氏のお話だった。「エリセーエフ」といえば今でもサンクトペテルブルグとモスクワにある帝政時代の豪奢な食料品店で馴染みはある。が、このロシア大富豪の孫が、明治時代、漱石の門下生として日本に滞在し、亡命後はパリ日本館の初代館長となり、後にはハーバード大学で日本学の教鞭をとっている。テープでエリセーエフさんの日本語肉声も聞かせていただいた。日本滞在中の着物姿の写真も、明治という時代背景のなかで様になっている。なによりも友人、知人にあてた葉書や書状の流麗な筆さばきと、丁寧で簡潔な文面に見ほれてしまった。専門的なことは判らないが、小泉八雲からドナルド・キーンの間にセルゲイ・エリセーエフが語られないことは残念に思う。

 

閉会後、三々五々、近くの中華料理店での懇親会に足を向ける。広くない店内での気取らない親しさや、オープンな話し声に、知らない人が見たら商店街の寄合いかと思うだろう。

しかし「来ロ研」は私が想うよりも、ずっとアカデミックで、高尚で、後世の日ロ史に残る宝物なのかもしれない。数ヶ月に1回、ビジネスセミナーとは全く異なる世界の新鮮な空気を吸い、別な細胞が動くようだった。

 

100610a1

 

エリセーエフ氏自筆

 

 

ページの先頭へ