社長の独り言
戸田に眠るロシア水兵

img_0002「戸田」とかいて「ヘダ」と読む。
沼津港から高速艇で30分、公共交通機関の陸路は伊豆急行修善寺駅と戸田をむすぶ1日何本かのバス便だけである。人口3500人余の戸田港は一方だけが駿河湾に面して、三方は岬と山に囲まれる隠れ港だ。安政元年、大地震と津波に襲われ、沈没したロシア軍艦「ディアナ」号の代用船建造に、時のロシア提督プチャーチンが戸田港を選び、頻繁にあらわれるようになった西洋の軍艦や商船から見つけられず、幕府の影響も少ない地で密かに作業をすすめて500数名の仕官、水兵を無事にロシアに帰還させる。その決断と実行力はすごい。そのプチャーチン提督の計画を後押しし、実現させたのは戸田の船大工や住民であった。
静岡県の出身で、20年近くロシアビジネスに携わってきたが、戸田村の話はぼんやりと聞いたことがあったぐらいだった。「戸田ふるさと郷土研究会」の代表の山口さんからメールをいただくまでは、特に関心もなかった。戸田の有志何人かが、戸田とロシアの関係を埋没させまいと、手弁当で活動しているようだ。熱海在住で、ロシアと仕事をしている人という情報を得て、ぜひ一度戸田へ来てください。というお誘いを受けた。
ロシアと関係あり、戸田と比較的近い伊豆半島の付け根に住んでいるといってもビジネスだけの人間が、幕末の江戸とプチャーチンの話や日本の造船技術の発達について説明を聞いても猫に小判である。以前紹介した「来日ロシア人研究会」のメンバーにも声を掛けてみたところ、永らく研究されていて、この分野の第一人者である一橋大学名誉教授の中村喜和氏と元毎日新聞のモスクワ支局長の飯島氏が参加されることになり、ほっとした。これで山口氏の案内も無駄にならずにすんだ。そして私は最高の解説者のもとではじめての戸田訪問という贅沢に恵まれた。
戸田訪問から数日して山口氏からのメール相談があった。「7月23日に戸田港祭りでロシア人供養祭があります。パレードでプチャーチンの役をやってくれるロシア人、いませんかね。」戸田で病死して故国に帰ることが出来なかったロシア人水兵、2名のために港祭りの最初に供養が行なわれるという。知り合いのセルゲイさんにそれとなく話した。「23日、戸田の港祭りに来て、プチャーチンの役やってみない?」予想通り「面白そうだ。交通費出してくれたら行ってもいいよ.」と乗りのり。そして、伊豆日日新聞に載ったセルゲイさんの勇姿をご覧ください。住民や観光客から握手やサイン、写真撮影を求められ、大人気で祭りも盛り上がった。
数人の僧侶による読経、参加者全員のお焼香、ロシア人墓地への献花と、宝泉寺での供養祭はりっぱなものだった。戸田の人々のロシアに寄せる素朴で自然なおもい、また「我が魂、永遠にこの地のとどめおくべし」としたプチャーチンのおもいを、今一度見つめてもよいかもしれない。この先、手弁当で戸田にかけつけてしまうかもしれない予感がする。

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