社長の独り言
俳優座「カラマーゾフの兄弟」

正月以来、籠り気味の生活がだらだらと続いていた。関心ある「満州」や「ハルビン」ものを図書館で探してみたり、ブックオフに引き取ってもらう前に読み残しの本を申し訳なく開いたり、事務所の片付けをしたりと内向きの作業ばかりしていた。知り合いがセッティングしたいくつかの食事会に誘われ顔を出したが、これも受動的である。視力が衰えたのか夜が更けて文字を追うのはきつくなってきた。テレビを見ているうちに眠りに落ち込んでしまう。こんな生活が3週間近くなると、さすがにウツウツとしてくる。
最寄駅の掲示板でドストエフスキー作「カラマーゾフの兄弟」のポスターを見た。
年明けから六本木の俳優座で昼夜の2回公演、明後日が千秋楽である。演劇に詳しくないので出演者は誰も知らない。普段は目に留まらない、目に留まったとしても関心もないポスターが気になったのは、ダレ気味の日常に“活”を欲していたのかもしれない。
平日の夜、重くて、理屈っぽくて、暗いイメージの19世紀ロシアものを3時間半も観劇する人が果たしてどれだけいるのだろうと思いつつ、座席の確認をしてみた。
「前売券はすべて公演前に売り切れています。当日券が十数枚ありますが、開場の1時間前に並んでいただきます。売り切れた場合はご入場できない場合もございます。」という返事に動揺した。父親殺しをテーマに人間の贓物までも白日のもとに引きずり出し、神の存在を狂気のように問い詰めていくロシアものにこれほど人気?があろうとは。
会場は満員御礼、熱気に溢れている。ほとんどの観客は事前にチケットを手に入れ、心待ちにして出かけて来たのだろう。当日ポスターを目にし、地下鉄で2駅目だからという理由で腰を上げ、散歩気分でフラリとでかけてきた者とは観劇の覚悟が違うようだ。
遠慮がちに席に着いたが、3時間半は退屈どころか短く感じた。
本は読んでいるのであらすじは承知していた。ドミトリー、イワン、アレクセイの3兄弟は、はっきりとしていたが小説では私生児で影のようなスメルジャコフ(真犯人)の存在が今までは掴めなかった。演出家中野誠也の解釈が作家の意図と一致しているかどうかは不明だが、今回の観劇で「そうだったのか」と、解けない宿題が解決した気分になった。
午後10時近く、観劇を終えた夜の六本木は香港のようにけばけばしい光のなか、日本語でない言葉が飛びかい、まるでこちらが異邦人。カラマーゾフの兄弟の余韻の置き所を求めて東京タワーに向かって歩いた。飯倉片町の交差点付近までくると光も人の流れもなくなり、闇が濃くなっている。左向こうの洋館は日本に帰化したロシア人アクショーノフさんの病院、道をわたり左折すればナターシャさんの経営するロシア料理店「ミンスクの台所」、まっすぐの先の右側はロシア大使館。10ほど歩いたところでロシアと繋がったのだ。
雪が舞いはじめ、タクシーに手をあげる気になった。

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