社長の独り言
社長もいろいろ……


 私の知り合いには、何故か事業の規模、中味、男女、国にかかわらず“社長さん”が多い。

ホワイトカラーのいわゆるお勤め族の知り合いは珍しいほうだ。

 

今から35年前の80年代初め、かつて龍土町と呼ばれた西麻布交差点と青山墓地のあいだくらいの商店と住宅が混在した地域で、3人の社長が夫々に起業した。

一人は私、あとの二人は私より4~5歳年上の男性。仮にAさん、Bさんとしておこう。

私の会社は企業の翻訳、編集を生業とし、Aさんは海外から医療器械を輸入し大学病院などへ売り込んでいた。Bさんは企業の新商品開発のコンサルタントが業であった。社員はわたしのところが女性二人、狭い事務所で机3つに作業台、本棚をおいたらコピー機を置く場所がない。

当時はファクシミリもデータ送付もなく、コピーをとってオリジナルを納品していた。機械の取扱い説明書の海外向け編集が主なので1日に500枚ぐらいのコピーをとるときもある。

たまたま女子社員がAさんの会社のドアに「コピーサービスします」という張り紙をみつけた。Aさんの会社が3人の中で一番はぶりがよかった。1日にせいぜい数枚のコピーしか必要ないのに立派なコピー機が置いてあり、オフィスのスペースも広く、社員も4~5名いて「会社」らしかった。当時Bさんは、Aさんのオフィスに机一つで間借りしていた。社員もいなくてAさんの秘書が代行で電話の取次ぎをしていた。

 

業種は夫々全く違うが、3人の会社は結構仲がよかった。お花見、忘年会に新年会、よくわからない飲み会、社員旅行も合同でやった。

数年後に私の事務所は赤坂の現在のミッドタウンの並びに引っ越し、家賃が高騰したバブルの時代に現在の高輪に移った。Bさんも大手企業の顧客をがっちり掴んで、ミーティングルームもある六本木のオフィスに移り、さらに現在は社長室もある本郷の外資系マンションだ。Aさんだけが西麻布の事務所にそのまま居たようだ。

お互いに自然と疎遠になっていたが、昨年の秋、「3人とも還暦過ぎたことだし一度、皆で西麻布で会おうよ。」とコンサルタントの先生であるBさんから声がかかった。日時を知らせるということだったが、その後電話もメールもなかった。

とりたてて会う用件もないのでそのまま忘れていた。先日「やっと、Aさんが了解したようなので、あらためて会おう。」というBさんからのメール。くわしくは書いてないがAさんの会社は数年前に倒産したらしい。Aさんが躊躇する気持ちはわかるが…。倒産なんて恥でもなんでもないが、男性はそうはいかないのかも。

当日、Aさんは店の前で待っていた。居酒屋からBさん馴染みのスナックへと移るが、話はつきない。最初は緊張していたAさんも、そのうち気を緩めて、倒産にいたる事情を昔の仲間に話しだした。

今まで規模に係わらず成功した企業、倒産した企業の社長さんと身近に何人も会ってきた。

私自身このまま進めば倒産か!という危険区域まで至ったこともある。

倒産する社長には共通項がある。特に男性は。人間的には魅力あり、お人よしで優しい。気が小さく、見栄っ張りだ。自信過剰で夢を追いやすい。Aさんも面倒見が良く親分肌だった。

創業当時、一番規模が小さくAさんのオフィスに間借りしていたBさんが、結局3人の中では一番成功したといえる。成功の原因は企業という生き物を分析し、手中に治めることができたからだろう。それも一つの才である。

夜も更けてきたので、Aさん、Bさんに失礼して席をたった。男性二人で30数年前の”青春“を語るのもよいだろう。

Aさん、Bさん私にとって「ビジネス」とは何だったのかと思う。

 

一部上場の社長に「ビジネスって、一言でいったら何ですか?」と質問したことがある。

返ってきた答えは「責任」。そう、背後に数千人の社員、その家族を背負っていたら当然だろう。

現地法人のロシア人女性社長に同じ質問をした。「チャンスよ!」という。自由経済へのトビラが開いた若者には、そう見えるのだろう。

 

過日、還暦を迎えた印刷会社の社長から名刺入れサイズの小箱をいただいた。

中には社長の顔を刷り込んだ金太郎アメとアラレ餅の子袋が入っていた。

「感謝感激アメ、アラレ」という紙が添えてある。



人生いろいろ、社長もいろいろだ。


 

 

 


 

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