社長の独り言
「作家」気分

今もってピンとこないが、9月に小説がでることになった。

自費出版で友人、知人に配るというのではなく、ISBNコードを入れ、書店やネットの販売ルートで配本、印税も支払われるという。

「作家」=私の仕事は事実と作り話を織り交ぜ、規定の枚数書くだけ、最終商品に仕上げ、売るのは編集者や出版社の仕事と、開き直った。

幕末のロシアからの黒船のお話を縦糸に、ロシア人准士官と戸田村の娘の恋物語を横糸に織り上げたとしても、問題は縦糸だ。縦糸は史実であり、研究者は沢山いらっしゃる。小説はもとより、研究書も資料もあり、いい加減に流すわけにはいかない。最低限のことはおさえておかなければ。

 

5月、連休明けに『取材』と称して、一人で戸田を訪れた。

去年3度訪れる機会があったが、風景と温泉と海の幸が楽しみで、史実はおまけだった。

沼津―戸田―土肥を日に2回往復する高速船ホワイトマリンで沼津港から30分、2時過ぎに馴染みの戸田港に到着。「戸田ふるさと研究会」会長の山口さんが港で出迎えてくださる。

車で造船資料博物館やロシア人、日本人が共同で建造した日本初の洋式船「ヘダ」号の作業場といわれる牛が洞をあらためて案内していただく。前回まではなんとなく聞いていた説明も今回は気合を入れる。随所で質問もする。当時の戸田村の方言を確認するため、山口さんのお知り合いの朗読会メンバーの自宅にもお伺いした。

翌日は、前日のコースを一人徒歩で回り、実際の距離感や風景、畑や山の草花の特徴なども手にして確かめた。できるだけ150年余前の当時の空気を体感したかった。

現存していないと思った廻船問屋「勝呂」家は、一部がそのまま残されており、当主は沼津で開業医をしていらっしゃるという。また現在は当主の妹さんがお住まいになっていらっしゃるとのこと。小説では「勝呂」の姓を使わせていただいたが、差し障りあると失礼にあたるので別姓に変えることにした。

戸田の取材の他、ロシア正教のお祈りの仕方を何人かの人に尋ねた。これまでモスクワやサンクトペテルブルグだけでなく、訪ねたロシアの都市や町の教会で礼拝に出会ったことが数十回はあるだろう。真似事で頭にスカーフをかぶり、ロウソクをささげ、十字をきったこともある。しかし正確に文章に表現するとなると、果たしてどのような順序や形で真似ていたのか、まったくわからない。

小説を書くというテーマを与えられ、森羅万象見ているようで、実のところ何も見ていないということが、よーくわかった。

1855年(安政2年)、戸田から引き上げるロシア人たちと一緒にロシアへ密航したという実在の人物、橘耕斎を別名で登場させた。ロシアで最初の和露辞典の編纂にかかわり、17年後に日本に帰国している。彼のお墓が、高輪の事務所から歩いて数分の「源昌寺」に葬られていることを最近知った。別名とはいえ、登場人物なのでお参りをすませた。

「作家」としてやるべきことは、一応やったつもり。

あとは、編集者や出版社の仕事だ。

私は、穴にでも入って、身をひそめていたい。

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