社長の独り言
真鶴の午後のララバイ

7月の第二日曜日の午後、真鶴で小さなコンサートが開かれた。

モスクワ在住の歌手、マキ奈尾美さんからのお誘いだった。毎年、夏休みで日本に一時帰国した時に、父親でカンツォーネ歌手で画家の間紀徹さんと親子コンサートを開いているという。

会場は真鶴のお父様のアトリエ。

今まで何度かお誘いを受けたけれど、機会を逃していたので今年は案内を頂いたときから日程に入れておいた。

真鶴は東京熱海を往復の都度、車や電車で通過しているのだが、駅に降り立ったのは40年ぶりぐらい。駅舎も駅前もその頃とあまり変わっていない。

「真鶴の丘、絵画館」といっても個人のアトリエなので駅前地図にはのっていないし、駅員さんに尋ねるも住所から方向しか示してもらえない。途中2回も電話で確認してしまった。駅前のお店のある通りを半島のほうに進む。坂道を下がり、教えられた脇道の坂を上る。箱庭の中を歩いているようだ。狭い道で車とすれ違うが人の姿はみえない。どの家も高い塀か、植え込みで囲まれている。タクシーを拾わなかったことを後悔しはじめた頃、やっと目的の建物に着いた。

すでに開演数分前で、50人ほどが椅子を寄せ合っている。会場はそれで満員。

やがて、グレーのスーツのお父様と、ブルーのドレス姿の奈尾美さんが登場。日本の背景、日本語の世界で奈尾美さんの姿を見るのは不思議な気がする。

彼女は、駐露カタール大使夫人であり、4人のお子さんの母親でもある。モスクワで出会った子供たちは母親似だが、アラブ系の顔立ちだった。大学生の息子さんがいらっしゃるとは見えないほど奈尾美さんも若く、エネルギッシュだ。

 

会場の大きく開いた窓からは真鶴漁港や貴船神社が見下ろせる。

コンサートは奈尾美さんのピアノ伴奏でお父様が朗々とイタリア語で歌い上げるカタリやサンタ・ルチア、日本語で情感を抑えて歌う城ヶ島の雨。奈尾美さんの包み込むような豊饒のアヴェ・マリア。ロシア正教の鐘の音が流れる演出。目を瞑るとモスクワの風景が浮かぶ。

イタリア、日本、ロシアそれぞれの国の音色が重なり合い、溶け合って真鶴の空に流れる。

休憩にはクッキーと紅茶をいただきながら、贅沢な午後のひと時を過ごした。

 

たまたま隣り合わせた女性は、日本企業のモスクワ駐在員の奥さん、夏休みで一時帰国していた大磯の方だった。熱海に温泉饅頭を買いに行くということで、車で送ってくださった。お礼に名刺を渡しておいたが、彼女の名前を聞き忘れていた。今日、メールと一緒に添付の写真が届き、はじめて彼女の名前を知った。数時間を過ごしただけだったが感じのよい女性だった。

文が人を表すというけれど、メールは彼女の人柄の伝わる女性らしい文面だ。

 

数日後、奈尾美さんからもお礼状をいただいた。

手書きの美しい文字、さりげなく正しい日本語を遣いこなしている文章に見ほれた。

私達の年代で海外に長く生活し、特に国際結婚している女性たちの日本語の品位に心底から感心することがある。

ともすれば埋没してしまう故国の言葉、異国に暮らすからこそ、日本語を意識することが彼女たちの矜持であるのだろう。彼女たちに遥かな敬意とエールを送りたいと思う。

 

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