昨年(平成23年)夏、はじめて西伊豆戸田(ヘダ)の港祭りに招かれた。
交通の便がいいとは言い難い。
沼津港から1日2回の高速艇で30分、もしくは伊豆箱根鉄道の終点「修善寺」駅からバスでおよそ1時間。バス便とて1,2時間に1本、日に6本くらいしかない。
この不便さが幸いしてか、夏の一時期を除けばおそらく数百年の昔と同じ穏やかな漁村の佇まいのままであろう。
晴れた日、波頭の先に裾野から頂上までの富士山が浮かぶ。駿河湾と長い砂嘴で区切られた戸田は隠れ港にふさわしい。150年前、大風による艦船の沈没でこの地に半年ちかく逗留していた5百人のロシア人たちも同じ景色を眺め、故国への想いを馳せたことであろう。
提督プチャーチンは何を思って新船が建造されるまでこの海を見つめていたであろうか。
港祭りは不幸にも故国に帰ることなく、病死した二人のロシア人水兵の供養祭ではじまる。宝泉寺の老住職の枯れた読経が蝉時雨の庭に流れていく。
寺から港への帰路、民家の軒先で東伊豆地方の風習と聞いていた季節はずれのつるし雛が揺れていた。
その時、私の頭のなかに幕末、戸田の港に暮らす家族、幸やサーシャ、美津たちが映像となって動き出した。
拙著「つるし雛の港」は幻の映像に導かれるごとく生まれた。
本書では一部名前は変えてあるが、ほとんどは史実に基づいて織りなすロシアの若者と村娘の淡い恋物語である。
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